国立新美術館で開催中の「ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道」展に行ってきました。
みどころや展示の概要、混雑状況などレビューさせていただきます。
概要
今年(2019年)は日本とオーストリア・ハンガリー二重帝国が国交を結んで150周年。これを記念して東京・大阪で「ウィーン・モダン クリムト、シーレ世紀末への道」展(ウィーン・モダン展)が開催されます。
19世紀末から20世紀初頭、ウィーンでは絵画や、工芸、デザイン、ファッションなど様々な芸術が花開きました。クリムトや建築家のオットー・ヴァーグナーが活躍したこの時代は、今日「世紀末芸術」として知られています。
ウィーン・モダン展ではこの「世紀末芸術」を「近代化(モダニズム)への過程」という視点からひも解く新しい試みの展覧会です。
「ウィーン・モダン展」基本情報
・会期:2019年4月24日(水)~8月5日(月) ・開館時間:10時~18時 ※毎週金・土曜日は、4・5・6月は20:00、7・8月は21:00まで。 ・休館日:毎週火曜日 ・会場:国立新美術館 企画展示室1E(東京・六本木)
◆観覧料金◆ | 当日 | 前売り | 団体 |
一般 | 1600円 | 1400円 | 1400円 |
大学生 | 1200円 | 1000円 | 1000円 |
高校生 | 800円 | 600円 | 600円 |
*公式HPからチケットの事前購入が可能です。
*音声ガイド:声:城田優、当日貸出:550円
*大阪会場:2019年8月27日~12月8日まで国立国際美術館で開催定
混雑状況
週末でしたが、激しい混雑はなくスムーズに回ることが出来ました。音声ガイドとグッズの購入時、レジで数分並ぶ程度。写真撮影可能な作品もありますが、人だかりができることもなくゆっくり鑑賞可能です。
基本的に、上野で開催されている「クリムト展」より空いているようです。
「ウィーン・モダン展」レポ
ウィーン・モダン展ではハプスブルク家が統治した18世紀から、クリムトやヴァーグナーが活躍した19世紀末までのウィーンの芸術文化が、系統立って展示されています。
音声ガイド(城田優さんの素敵な声にうっとり)も借りてゆっくりと楽しみました。
第一章 啓蒙主義時代のウィーン
18世紀後半のウィーンでは「啓蒙主義:旧来の伝統や権威を批判し人間性の解放を目指す思想」に基づき、行政や経済、教育など様々な分野で変革が行なわれます。特にヨーゼフ2世は、宗教の寛容や農民の解放、近代的な病院の建築など数多くの改革を行い、ウィーンの近代化において大きな功績を残しました。
ここではこの時代の絵画や彫刻を通して、当時のウィーンの世相をうかがい知ることが出来ます。
こちらはマリア・テレジア。額の上に描かれている少年がヨーゼフ2世です。絵のタッチといい額装といいまだまだ「モダン」とは程遠いクラシカルな雰囲気ですね。
ヨーゼフ2世(マリア・テレジアの長男、マリー・アントワネットの兄)は啓蒙主義の熱烈な支持者であり、次々と改革を行います。これがウィーンの近代化=モダニズムの第一歩。この時代に撒かれた種が19世紀後半に一気に花開くのです…!
このころのウィーンの様子を遠景で描いた油彩がありましたが、市街地が思いのほか狭くて驚きました。
第二章 ビーダーマイアー時代のウィーン
ナポレオン戦争が終結し、1814年に「ウィーン会議」が開かれてから1848年に革命が勃発するまでの期間は「ビーダーマイアー」と呼ばれます。フランス革命やナポレオンの台頭により「市民社会」への気運が高まったにも関わらず、王政復古により再び閉塞的な社会に戻ってしまったこの時代。人々はこれに反発するように「日常的」で「簡素」なものに目を向けます。
絵画には日常生活やのどかな農村の様子が多く描かれ、家具や調度品も機能性を重視した作品が好まれるようになりました。
そして、日常生活に実用的な美を見出す「ビーダーマイアー」は世紀末芸術が花開いた1900年頃に、近代的なスタイルのモデルとして再び注目されることとなるのです。
日常生活や実用性に美を見出した「ビーダーマイアー」時代の展示とあって、椅子やティーポッドなど、身の回りのものが沢山紹介されています。無駄な装飾は省かれ、シンプルなフォルムですが現代にも通じるようなセンスの良さ!
「歌曲の王」シューベルトが活躍したのもこの時代。
真ん中でピアノを弾いているのがシューベルト。彼はこの絵に描かれているように、しばしば私的な夜会を開き、友人たちと音楽や芸術について語り合っていたそうです。今までシューベルトって真面目で気弱で、貧しくて…というイメージだったのですが、違ったみたい。どこからどう見てもリア充ですね!
第3章 リンク通りとウィーン
革命後、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世の治世の間(1848-1916年)に、ウィーンは帝国の近代的首都へと変貌を遂げます。皇帝は都市を取り囲む城壁の取り壊しと新しい交通の要となる「リンク通り」の開通を命じ、沿道には帝国の要となる建築物が次々と建設されました。
ウィーン博覧会が開かれ、ヨーロッパに初めて日本美術が紹介されたのもこの時代です。
近代化が一気に進むこの時代。都市計画が進み、ウィーンの街並みの基礎が形作られます。この頃のウィーン市街地の様子がCGで再現されていましたが、「あ!ここ歩いたことあるな」「ここに電車が走ってたな」など現在のウィーンの街とリンクする箇所が多数あり、とても興味深かったです。
皇帝夫妻の銀婚式を記念する華やかな祝賀パレードの様子も展示されていました。
菓子職人や織物職人など様々な職業の人々が、その職業をイメージした山車と行進しています。画像は菓子職人の山車。クリームのような柔らかな衣装や、砂糖菓子やケーキを模した車など、見ていると甘い香りが漂ってきそう…。
こちらのデザイン画を描いたマカルトはクリムトの先輩にあたる人物。こうして先人たちの残した足跡がウィーンの「世紀末芸術」へ脈々と繋がっていくのです。
ウィーン博覧会の様子も大変華やか、かつ近代的で、本当に100年以上前の出来事なのか不思議に思うほどでした。この時、日本の浮世絵や庭園の様子が広くヨーロッパに紹介され、この頃の西欧美術には日本画に影響を受けたと思われる作品が多くみられます。
偶然、同時代の美術界(主人公はゴッホ)を描いた原田マハさんの「たゆたえども沈まず」を読んでいたこともあり、時代背景が想像しやかったのも良かったです。
第4章 世紀末のウィーン
カール・ルエーガーがウィーン市長として活躍した1897年~1910年、路面電車や地下鉄などの交通網が発展しウィーンの都市機能がさらに充実します。郵便貯金局やカールスプラッツ駅など、現在のウィーンの街並みを象徴する建物が 作られたのもこの時代。
1897年、クリムトら若い芸術家たちは美術界の保守主義に反発し、「ウィーン分離派」を結成します。その後、分離派には絵画、彫刻、工芸、建築などの様々な分野の芸術家が参加し、月刊誌「ヴェール・サクルム(聖なる春)」も人気を博しました。
また、1903年には 建築家ヨーゼフ・ホフマンとデザイナーコロマン・モーザーによ「ウィーン工房」 も設立され、デザイン界に革新が起こります。
こうしてウィーンの「世紀末芸術」がついに花開くのです。
ついにやってきましたクリムトの時代!
クリムトの作品は油彩の他、素描や分離派展のポスターなど合計47点、もう一つの目玉であるシーレの作品は22点が展示されています。
クリムトとシーレは一時師弟関係にもあったようですが、素描の作風が全く違って面白かったです。クリムトの素描は柔らかい曲線を重ね、官能的な肉体表現を探求する過程のように見えますが、シーレの素描は一筆書きのような力強いタッチ。素描だけみて「こっちがシーレ」「こっちがクリムト」と見分けられる独特の作風こそが彼らを天才たらしめているのかな、と思いました。
クリムトの作品ではやはり「エミーリエ・フレーゲの肖像」が印象的でした。ドレスの幾何学的な模様や青~緑の色使いが美しく、余白の使い方は日本美術の影響も感じさせます。こちらの作品、写真撮影可能です。(会場内にカメラ・スマホの持ち込みをお忘れなく!)
エミーリエは結婚こそしていないもののクリムトの生涯のパートナーとして特別な存在。自分でブティックを経営する自立した女性でもあったようです。まっすぐこちらを見つめる視線から意思の強さがうかがえます。
会場には彼女がデザインしたドレス(コルセットで締め付けない自由で新しいドレス)も展示されていました。袖にボリュームのあるデザインが特徴です。
シーレの自画像。思ったより小さな作品でしたが、画面から強い圧を感じました。彼の作品はどれも息の詰まるような閉塞感がある気がします…。一気に見るとちょっと疲れるかも。
絵画ではありませんが、面白かったのがこちらの写真。ウィーン分離派のメンバーが写っています。思い思いのポーズ(寝転がっている人までいる)に保守的な芸術への反発が表れているような。
後列左から2番目がクリムト。すさまじいオーラを感じませんか?
クリムト・シーレの作品以外ではこちらの「黄色いドレスの女性」が気になりました。廊下の突き当りにこの作品(かなり大きい)が展示されているのですが、「何かご用?」とでも言っているような不敵で、それでいて優美なこの表情!
ウィーン分離派の機関紙「ヴェール・サクルム」や分離派展のポスターも多数展示されていましたが、レタリングや画面構成を含め、とてもスタイリッシュで100年前の作品とは思えませんでした。
「ウィーン工房」が手掛けた雑貨や家具も、「おしゃれ」の一言。お店で売っていたら買っちゃうかも。(お高かったそうですが。)
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