夫の「好きにしていいよ」に憤慨した理由

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先日夫と話していて引っ掛かったこと。

私のキャリアに関して「フルタイムに復帰するのが怖い。今は半日勤務が多いので、ある程度質を保った家事育児ができるが、どうするのがベストなのだろうか」という趣旨の発言をしたところ…。

(今のまま)好きにしたらいいよ。」という返事が返ってきたのです。そのあと「あぁ~俺って優しい!」とも。

私も一旦は「ありがとう」と受け流したのですが、その後も何となくこの言葉が引っ掛かっていて。

だんだんと、引っ掛かったトゲが深くなり痛みを発するようになったので、自分の気持ちを意識的に言語化する(夫に話す、ノートに書く)ことにしてみました。

気持ちの整理を兼ね、こちらにもまとめさせていただきます。

時短+ワンオペ育児は「好きにしている」なのか

夫の立場からすると、家事と仕事の割り合いを自由に采配している(?)私の生き方は「好きにしている」ように見えるのかもしれません。そして、選択肢を自由に与えている俺=優しい、と。

だけど本当にそうなのだろうか?

案外カードは少ない

例えば、夫に娘を園にお迎え→夕食→お風呂→寝かしつけ→翌日の園の準備→朝食→お弁当作りまで任せられる家事能力があれば、私が当直も含めフルタイムに復帰するという選択肢もあると思います。定時に仕事を上がってくれる日が増えれば、娘のお迎えも分担できる=私が残業できる日が増える。

が、現実はそうではない。

夫は料理はからきしダメ、洗濯物も乾燥機可のもの、手洗いのものの区別がつかない。幼稚園の準備物に何がいるのかも現時点では把握していないし、把握しなければいけないとも感じていないと思います。18時、19時に始まるカンファレンスに出席することも少なくありません(当然帰りは遅い)。

で、こういう状況であれば私が家事育児のほとんどを請け負うしかなく、そうなると仕事をセーブせざるを得ない。

私が持つカードは「家事育児の質をかなり諦めて仕事する」or「仕事をある程度ゆるめて、家事育児に時間を割く」の実質2択。

夫より私の方が衣食住環境にこだわりがあるので、「そういうこだわりを捨てたらどうにかなるんじゃない?」と言われればそうかもしれないのですが。

結局後者を選んでいるわけですが、それを夫に「好きにしている(好きにさせている俺は優しい)」と言われるのはいささか心外です。

夫の方が「好きにしている」ように感じる

私の立場からすると、子供の誕生前と何も変わらずキリのつく時間まで仕事をして、土日は自由にバイトを入れ、キャリアの面でも何も諦めない夫の方が「好きにしている」ように感じるんですよね。

園の送迎時間に合わせて勤務時間を調整してもらう肩身の狭さ、土日に仕事の依頼があってもお断りする申し訳なさは彼の人生にはないものです。

一方、そこには「働き続けて家族を養う」という大黒柱的な覚悟があるはずで、それはそれで逃れられない辛さがあるでしょう。

結局、夫婦で見えている世界が違うことが今回の齟齬に繋がったのだと思います。

「好きにしていいよ」発言から数日、悶々と夫に上記の気持ちを伝えたところ、はっとした表情をしていました。

感情の棚卸しをすることの大切さ

今回は夫に気持ちを伝えただけで、私と家族を取り巻く状況が何か変わったわけではないのですが。

自分のモヤモヤとした気持ちを言語化できたこと、夫と共有できたことで、負の感情の大部分は供養された気がします。モヤモヤに向き合って、意識的に感情の棚卸しをするだけで楽になることもあるのですね。

私も夫も専業主婦のいる家庭で育ったこともあり、「共働き」に起因する引っ掛かりや歪みにぶつかったときの対処法を多く持たない。その都度言語化し、共有しながら「家庭」を運営していくことが不可欠だと思います。両者とも割と口下手なので意識して、感情の具体化を。

男女を取り巻く社会構造のゆがみについても、今までは「そういうもんだ」と受け流していましたが、もう少し夫と話し合う機会を持ちたいです。私の代で何かをかえるのは難しいかもしれませんが、娘の将来の生きやすさのためにも。

家族であっても見えている世界はそれぞれ

また、家族=運命共同体のような気がしてしまいますが、見えている世界、抱える苦しさはそれぞれ。それを無理にそろえようとするのではなく、「あなたはそうなんだね。」と共有し、認め合う姿勢を忘れずにいたいです。

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